【学友便り】最近思うこと

2010 年 10 月 2 日 - 2:10 AM

2009-2010年奨学生 水口 小百合

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アメリカでの大学院生活も既に四ヶ月が過ぎようとしています。アメリカ人学生のみならず、サウジアラビア、台湾、中国からの学生も多くいる国際色豊かな環境のもと、私は現在、TESL(Teaching English as a Second Language)という英語教育専攻で、ネイティブ・スピーカーではない英語学習者、たとえば日本人の学生などに英語を教えるための実践的方法、理論枠組みからの研究方法など多様な視点からの英語教育の勉強をしています。

これまで私の中で、英語は常に「外国語」でした。なので、英語を第一言語として話す人たちのことも、「外国人」として捉えていました。日本を離れてみてまず感じたのは、「外国語」を話す「外国人」は、彼らではなくむしろ私なのだ、ということでした。少し考えてみれば、簡単な話なのだと思います。外国に行けば、自分が「外国人」になる。ただ、それだけのことです。でも、この発見が私には衝撃的でした。日本を離れるまで私が感じなかった感覚でした。日本にいると、外国人と会う機会はそれほど多くありません。もしかしたら、ただ気づいていなかっただけなのかもしれませんが、私の周りには「日本人」というアイデンティティを、少なくとも無意識的に持っている人たちばかりだったと思います。つまり、私は留学するまで、自分が日本人であることについて、ほとんど意識してこなかった、ということです。更に言うならば、日本人であることを意識する必要性がなかったということなのです。もちろん国民性として日本人は、あまり自分のことを語りたがらない特徴があるかもしれません。「沈黙は金」という言葉にもあるように、そのような考え方から培われてきた謙虚さや繊細さは、日本人というアイデンティティを持った人たちのすばらしい特徴だと思います。ただ、それとともに、自分がどんな人間なのか、ということを考えるための客観性も必要なのだと、気づきました。このことが、日本人のすべての人たちに当てはまるかはわかりません。もちろん、私より日本のことについて考えている人たちはたくさんいると思います。ただ、「外国語」を教えようと志す人間が、自分の国のこと、そして自分のことを知らなくてどうする、と思ったのです。外国語研究は、コミュニケーションに根ざした研究です。書かれた文字であれ、話された言葉であれ、身振り手振りであれ、それらは人と人の気持ちを繋いでいくことを目的としています。私の場合は、英語という外国語を媒介として、日本人の英語学習者と英語話者を結ぶことが目標です。そのためには、私がこれから、もっと日本のことを知っていかなくてはならないと思いましたし、それらを客観的に見る視点も必要だと思いました。そして何より、英語圏でしか習得、経験することのできない英語教育に関するあらゆることを吸収していかなくてはならないと思いました。これらが、最近私が常々感じていることです。

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こちらに来てから、受け入れ先であるケントロータリークラブの方には本当にお世話になっています。先日も週末にドライブに連れていってくださり、気持ちのよい週末を過ごすことができました。90年という歴史あるクラブで、いろいろな考えを持ったロータリアンの方たちとお話することができ、とても有意義な留学生活を送ることができています。毎日雪が降り続いた1月、2月が過ぎ、春が到来したかと思われた3月、春がどこかへ行き夏の暑さすら感じさせる4月。ここオハイオ州、ケントがこれからどのような季節の装いを見せてくれるのか楽しみにしながら、日本のスポンサークラブである甲斐ロータリークラブの皆様はじめ、山静地区の皆様にまた良い報告ができるよう、精進していくつもりです。


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【学友便り】みんなを結ぶ音楽の輪

2010 年 9 月 22 日 - 9:17 AM

1987 -1988度奨学生 青木 千枝子

2003年、子育てが少し落ち着いた頃、本格的に音楽・音楽療法研究所を始めました。最初は、イタリア人の女の子が1人でした。私の家の近所には、日本人が住んでいないので、イタリア人の生徒が対象でした。

1年間経過しました2004年の6月に、第1回目のコンサートを開催しました。ようやく生徒も数人になったので、とにかく生徒のためにコンサートを、という願いから準備をしました。また、ちょうどその頃、小学校に通っていました長男もピアノに興味を持ち始めたので、彼もコンサートに参加することになりました。

当時、必死で実施しましたコンサートは、小規模ながら成功しました。これを機会に、次のコンサートに向けての目標ができましたので、私自身とてもうれしかった記憶があります。さらに、息子も音楽が好きになり、その後定期的に私が教えるようになったことも、大きな収穫でした。小学校や中学校で音楽会を開催しましたので、息子の同級生達も刺激され、音楽好きな子供が増えていきました。ゲームで遊ぶ時間をなるべく少なくし、少しでも音楽が好きになってもらい、ピアノを弾いたり、音楽を聴いたり、歌を歌って楽しむ時間を生活の中で自然に持ってもらうことが目的です。

本当は、子供達がもっと幼い頃からピアノを教えたかったのですが、本人達が興味を示すまで待っていました。次男も、小学2年生から毎回コンサートに参加しています。長男はバイオリンを習い始めましたので、今は次男にピアノを教えています。子供といっしょに音楽をしている時間が、とても充実し幸福に感じています。時々歌を歌ったり、連弾をしたり、打楽器でリズム打ちをしています。あっという間に時間が過ぎ、2時間以上も熱中することがあります。単なるレッスンではなく、いっしょにセッションをするような感覚です。

ところで、コンサートは、「 I PICCOLI MUSICISTI IN CONCERTO イ・ピッコリ・ムジチスティ・イン・コンチェルト」( 小さい音楽家のコンサート )という名前です。発表会ではなく、コンサート形式にしたいという希望から、この名前を付けました。どんなに小さい子供でも音楽家として演奏をする、という志がこの名前に含まれています。しかし、目標は掲げたものの、その後生徒と再び音楽会ができるかどうか、全く先が見えませんでした。

コンサートに関して、私が大切にしていることがあります。音楽を愛する人は全員、参加できるという趣旨です。国籍・障害・年齢に隔たりなく、演奏をすることです。もちろん、プロの音楽家も参加できます。様々な歌や楽器を演奏して、楽しむことが目的です。さらに、出演者がデュエットやコーラスをしながら交流をします。このように、演奏家同士、又は演奏家と聴衆が一体となって、音楽を楽しむことが、最も大切だと確信しています。そしてコンサートが、人間関係を構築する交流の場となるように、強く願っています。

特に、障害者の参加に関しての重要性を強調したいです。障害者と健常者の共存という大きな目標があります。社会の中で障害者が普通にいるということを、全く当たり前のことにします。キャンプ、お祭り、スポーツ大会などいろいろな交流の機会がありますが、音楽を通じて交流ができたらどんなにすばらしいでしょう。歌を歌ったり、楽器を弾くことは、誰がしても楽しめます。言葉が理解できない外国人同士でも、音楽があればコミュニケーションできます。音の世界では、障害や国籍の隔たりがありません。単に打楽器で楽しむだけでなく、音楽プログラムをもう少し本格化させたらどうでしょうか。彼らが、簡単なメロディーを歌ったり、楽器で演奏できたら、さらに満足感や幸福感が増すと思います。

そんな想いから、2005年に養護施設主催の「フェスタ in 福祉」において、音楽劇「ピーターと狼」を実施し、その際に2回目のコンサートも実現しました。これが最初の合同音楽会です。その頃、私は市立養護施設の音楽療法士として採用されました。施設主催のフェスタで、音楽劇をすることと、音楽・音楽療法研究所のコンサートを同時に実施することは、私にとってとても重要なことでした。研究所の演奏者や父兄が障害者と混ざって交流をすること、又障害者にとって生演奏を膚で感じるということが重要でした。

同年に、山梨県立美術館主催の「みなび展」が美術館内にて開催されるということで、養護施設のグループの作品を参加させていただくことになりました。開催時期は夏で、ちょうど私が日本に帰国する時期でしたので、それに合わせて準備をしました。この展覧会の名前は、「みんなでつくる展覧会」という趣旨からつけられたもので、養護施設の皆さんが参加するにはちょうどいい機会でした。

音楽と美術は密接に結びついています。音楽の中には、テンポ・リズム・色彩などがあり、これらを線や色で表現することによって理解を深めます。また、親しみにくい交響曲でも、それを聴きながら、感じたイメージを絵で表現することができます。このような曲を聴かなくても、自分達で音を出して、それを描くこともできます。音を絵・造形・グラフィックなど、自分の感じるままに描いて作る活動をし、作品を作ります。普段から音楽+美術の活動をしていますので、展覧会はよいチャンスだと思いました。

2006年も引き続き、「みなび展」参加をさせていただきました。養護施設だけではもったいないと地域の小学校にも声をかけ、展覧会のためのプロジェクトを立ち上げました。「みなび展」参加のために2日間、小学校において制作をしました。4学年生徒全員・4学年全教員と養護施設のグループ・職員、約85名が集合しました。そして彼らの共同作品、全員の色手形がついた3つのキューブが完成しました。日本に住んでいる人達のように大きくて立派な作品は出来ませんが、85人を結びつけた絆と2日間の交流の成果でした。日本の美術館でこの作品を再び鑑賞した時は、感動でした。地球の反対側にいる養護施設のグループへの思いと、元気な小学生の顔が浮かびました。

さらに2008年に、山梨県立美術館通りのアートイベント「アートフェスタ貢川」と、画廊「アートセンターコスモス」の展覧会に参加することができました。4枚の写真は、養護施設の皆さんの作品です。雑誌・端切れ・水彩絵の具・色えんぴつ・色ペンなどを準備しましたが、30枚以上もの作品が出来上がり、驚くばかりでした。今までもこのような活動はしましたが、この時ほど、彼らの創造性・感受性・集中力・ファンタジーを感じたことはありませんでした。そしてコラージュや水彩画などが次々と出来上がると、うれしくなってしまいました。いくつかの作品には、芸術性を感じるほどでした。送る前に11枚、写真を撮り、「養護施設ギャラリー」と称して、ブログで紹介しました。全作品を日本の人達に観賞してもらいたいと思い、最終的に、出来上がった作品全部を送りました。

さて、2006年は、私にとって思い出深い年となりました。前年から小学校で音楽講師をしていました私は、音楽・音楽療法研究所のコンサートと小学校の学年末音楽発表会を合同で開催しました。イタリアの学年末は、5月です。普段ピアノや歌を個人的に勉強している子供達にとって、大聴衆の前で演奏することは、よい経験になります。また、小学生達にとって、学校では学習できない専門の楽器の音色を生で聴くのも勉強になり、音楽の輪を広げるよい機会になると思いました。

さらに同年のクリスマスには、中学校にて、小学生と私の研究所の生徒と養護施設のグループを合同で参加させることに成功しました。小学生達とその父兄が非常に関心を持って参加したことを記憶しています。しかも実施して驚いたのは、子供達が、養護施設のグループに対して協力的でした。ピアノを演奏した研究所の子供達と小学生、そして養護施設のグループがまさに一体となって盛り上がりました。父兄が養護施設のグループに対する評価をし、「楽しい時間を過ごしました。皆さん、すばらしい。」などと声援を送ってくれました。クリスマスでしたので、会場に暖房がきいていたせいか、とても体が熱くなったことも覚えています。確かに会場も、入場できないくらいの人達でいっぱいでした。この光景は、今でも鮮明な思い出として残っています。国籍や障害は音楽によって全くなくなり、会場が1つになりました。この体験をした後、自分の考えに確信を持つことができました。

コンサートは、一方通行ではなく、演奏者と聴衆がコミュニケーションをとることによって、体で音を感じることができます。音楽には、その場にいる人達みんなを1つにまとめる不思議な力があります。そして、先入観を取り除くためには、小学校の段階から、障害者との交流を積極的にしていく必要性を感じています。

ところで、2007年から2008年にかけて、養護施設では、歌のレパートリーを作り、「声」に関して重点をおき、コーラスを結成しました。呼吸法や発声法なども学び、ハーモニーを作ることに努力しました。いろいろな楽器がありますが、人間には「声帯」があります。歌は話す言葉と深く関連していますので、声の知識や可能性に関して、もっと認識し、この万能な楽器を積極的に試す必要があります。

人には、ミュージックアイデンティティーがありますが、それを追求したらどうでしょうか。養護施設でまず行ったのは、彼らがどんな歌や歌手が好きか、幼い頃どんな曲を聴いていたか、特に印象に残った歌、肉親といっしょに聴いた曲、今聴いている曲などのCDを持参してみんなで聴いたり、いっしょに歌ったりします。歌に限らず、音楽に関して、どんなことでもいいので、曲名を書いたり、CDを集めたりして、自分の音楽アルバムのようなものを作っておくといいかもしれません。写真のアルバムも、忘れた頃に何回も見て懐かしんだりしますが、それと同じような感覚です。

養護施設では、仲間の好きな音楽を聴きあったり、歌ったりすることを心がけています。そしてみんなが好きで歌いたい共通の曲を選び、レパートリーを作っていきます。重要なのは、みんなが好きで歌いたいという気持ちです。そして、音楽療法だけにとどめず、この活動を他の場所で発表することが必要です。グループはいつも大きな元気な声で歌っていましたので、この「元気」を誰かと共有したいという願いからプロジェクトが生まれました。市立老人福祉施設2箇所を訪問し、彼らの歌声を聞いてもらい、しかも歌集を準備して配り、いっしょに合唱しました。この際も彼らの声と聴衆の声が一体となり、響いていました。最も感動したのは、養護施設のコーラスグループだったと思います。

さて、2007年には、長男が中学に入学しました。現在通っています中学と出会ったのは、前の年です。子供が好きな音楽を続けたいということから、音楽教育に力を入れている中学を捜し始めました。そうしたら何と、イタリア全国に音楽専科がある国立中学がたくさん存在することを知りました。その中で特に注目をしたのが、国立支援ヴィヴァイオ中学です。「支援」という訳が適しているかどうかわかりませんが、その価値は十分にあります。実際に、この中学は特別中学に指定されています。

もともと盲学校の付属中学として存在していましたので、視覚障害、あるいは全盲の子供達が通学し、音楽教育を受けていました。教育法改正により、視覚障害のみならずそれ以外の障害を持った子供達が健常な子供達の中に混ざって在籍するようになりました。この中学を知った時に、まさに「これだ!」と思いました。私が求めていることとピッタリ一致したのです。このような素晴らしい学校が存在していたとは、それまで全く知りませんでした。

この中学では、障害を持った子供も含めて生徒全員が楽器を勉強し、音楽活動やコンサートを積極的に実施しています。そして、障害の子供達と健常な子供達が同じクラスに在籍して、勉強し給食を食べ、共に活動しています。子供達が車椅子を押したり、全盲の子供を常に助けたりしています。要するに、理想的な小さな社会を形成しているのです。

そして、子供が入学した後、全盲の男性教員が音楽を教えていることを知りました。学校内では杖は使わない先生は、子供達や他の教員で助け合います。子供は、この先生の授業を受ける度に、「先生のピアノはすごい。誰よりもすごい。まるで目が見えているようだ。」と話しています。生徒達に人気のある、最も尊敬されている先生の1人です。コンサートの際は、中央に座り、まるで魔術師のようにピアノを弾きます。その周りに群れをつくるかのように生徒達が先生を囲みます。歌っている生徒達の姿は、あまりにも生き生きとして、会場も自然に口ずさむ人が増え、じょじょに盛り上がり、大合唱になります。この時、私は観客でしたが、やはり、ここでも一体感を体験しました。

さらに、2009年に、同じく全盲の音楽教師と出会いましたのは、偶然ではないと思います。養護施設では、2008年クリスマス前から、ミュージックベルを使って音楽療法をしています。少しずつ曲を増やし、レパートリーを作って地元の中学と音楽交流をすることにしました。典型的な普通の国立中学で、音楽を教えている女性教員との衝撃的な出会いがありました。中学校に訪問して、彼女のクラスと、交流をしました。養護施設のグループが歌やベルを演奏し、中学生も笛を演奏しました。また、共通の曲をいっしょに合奏したり、グループが打楽器でリズム打ちをしたりしました。

音楽教師チェレーダ先生や中学生と音楽交流をして、感慨無量の一言でした。また校長先生や他の教員も参加し、とてもあたたかく迎えてくれました。養護施設のメンバーも、校長先生や音楽の先生に抱擁し、感激を強く表していました。

ところで、2009年、ダウン症の男子が、私の研究所を尋ねてきました。実は、彼は5月に開催しました第8回のコンサートに参加しました。とにかく音楽が好きで、歌を聴くのが好きなようです。日本には「むすんでひらいて」や「お馬のおやこ」などの歌がありますが、イタリアにも世代を超えて歌い親しまれている歌がたくさんあります。メロディーが有名でしかも単純な曲を選曲し、コンサートで歌うことを提案しました。

彼は、以前学校生活の中で、人前で発表をすることが結局全くなく、今後も難しいと母親は非常に心配していました。ところが、これらの曲を歌いきり、挨拶をして自分の席についたのを観察していました母親は、感動というより信じられなかったようです。その後研究所に通うようになり、週に1回のペースで音楽療法を続けています。字が読め、英語も理解できますので、早い時期に変化が表れてきました。ビートルズのファンということで、選曲をし、「イエスタディ」や「ミッシェル」などの曲を今歌っていますが、20105月のコンサートを目標に頑張っています。

現在、研究所では、イタリア人・フィリピン人・フランス人・アフリカ人・中国人・日本人など、国籍や障害を越え、子供や大人が音楽を通じて交流し、可能性や才能を発見しています。日本人である私がイタリア語で、生徒達に教えるということは、難しく忍耐が必要です。時々、自分の言いたいことが正確に伝わっているかどうか、疑問に思うこともあります。しかし、私は、音楽を通じて生徒達と接することが好きです。彼らも、私にエネルギーを発信していますので、相互作用が確実に働いていると思います。言葉の問題、上手とか下手という問題は全く関係なくなり、純粋に音楽と人間の関係のみになると信じています。とにかく、子供達が音楽好きになり、実力を十分に発揮して、それを家族や友達と共有し、共鳴し合って成長することができれば最高に幸せです。

最後に、私のホームページとブログを紹介します。特にブログでは、イタリアの教育・福祉関係の実際の現場から、活動内容や感じたことを書いていますので、是非ご覧いただきたいと思います。

http://www.musica-italia.jp
http://blogs.yahoo.co.jp/italiajapanaoki


[学友便り] ベルギー、ルーヴァン・ラ・ヌーヴ便り

2010 年 4 月 18 日 - 1:17 AM

2009-2010 年度国際親善奨学生 ルーヴァン・カトリック大学(ベルギー)留学 村中 由美子
(派遣クラブ:D-2620 静岡東ロータリークラブ、受け入れクラブ:D-2710 ルーヴァン・ラ・ヌーヴクラブ)

私は、2009 年9月より、静岡東ロータリークラブからのご推薦を頂き、国際親善奨学生としてルーヴァン・カトリック大学に留学しています。早いもので、こちらでの生活も半年余りになります。今回は、まず、私の派遣されているルーヴァン・ラ・ヌーヴという一風変わった街の紹介をし、続いてベルギーでの学生生活、最後にこちらのロータリークラブについてご報告させて頂きます。

【学園都市、ルーヴァン・ラ・ヌーヴ】
私が今暮らしているルーヴァン・ラ・ヌーヴは、少し特殊な街です。街の名前をあえて訳すと「ルーヴァン新町」といったところでしょうか。首都ブリュッセルから、南東に在来線で一時間ほど走った場所に位置する、人口二万人弱(2008 年12 月)の小さな街です。ここルーヴァン・ラ・ヌーヴから、電車で一時間北東に進むとルーヴァンという別の街があるのですが、ここに1425 年に創立されたルーヴァ
ン・カトリック大学が、ベルギーの言語闘争により、1968 年にフランス語を使う部門とフラマン語を使う部門で分離することになり、そのフランス語部門が新たに森を切り開いて造った街がルーヴァン・ラ・ヌーヴです。なので、街の周りには本当に森しかありません。唯一の映画館も2年前に閉鎖され、娯楽施設があまりないところは昔のつくばのイメージを彷彿とさせるかもしれませんが、朝は小鳥のさえずりで目を覚まし、お天気のいい日は森での散策を楽しみ、夜は静寂の中で星空を眺めるここでの生活を、私はとても気に入っています。

【ベルギーでの学生生活】
私は、ロマンス語・ロマンス文学およびフランス語・フランス文学研究科修士課程2年目に在籍し、20世紀フランス文学を中心とする勉強を進めています。2年目からの編入のため、取得しなければならない単位も多く(年間60単位)、並行して修士論文のための研究もしており、充実した毎日です。一学年に100名ほどの学生が在籍しており、その中で留学生は中国人一人と私だけであるため、授業や課題は現地学生とほぼ同じようにこなす必要があり、勉強はかなりハードです。しかし、現地の学生はみな親切で、インターネット上の掲示板に有志の学生を中心として授業ノートを公開してくれたり、質問を受け付けてくれたりするので、とても助かっています。ベルギーの大学では隣国フランスと比べても成績評価が厳しいようで、その分学生も非常に熱心に勉強していて、留学には最適の環境です。試験

期間は年間で3回あり、好きな時期に試験を受けることができますが、日本のように簡単に授業を放棄することはできず、全ての科目に試験が課せられます。試験勉強の仕方も、日本のやり方では通用しません。なぜなら、筆記試験はたいていその場で問題を与えられて4時間ほどの時間をかけてフランス語で小論文を書く試験であり、口頭試験ではあらゆる角度からの質問に論理立てて答えなければならない
からです。なので、勉強したことを暗記することは準備の最低条件で、それをいかに自分で組み立て直して、新たな考えを加えられるかが問われます。そのため、試験範囲を分担して勉強会をする等、学生たちも工夫して試験勉強をしています。

同級生とともに

同級生とともに

同級生

同級生

ベルギービールを片手にゲームに興じる学生たち

ベルギービールを片手にゲームに興じる学生たち

【ルーヴァン・ラ・ヌーヴのロータリークラブ】
このような多忙な学生生活ではありますが、こちらでの私の受け入れクラブであるルーヴァン・ラ・ヌーヴクラブのみなさんには本当にお世話になっており、クラブの集まり等にも招待して下さるため、学生文化とはまた違ったベルギーの側面を学ぶことができます。先日、2010 年3月13日には、ルーヴァン・ラ・ヌーヴクラブの創立10周年のパーティーに招待して頂きました。このクラブはまだ若いクラブであり、ロータリアンの方々も50代前半くらいの方が中心で、男女の比率が半々の珍しいクラブです。このような活気あふれるクラブですから、パーティーも大変盛り上がりました。特に、私のこちらでの顧問ロータリアンであるブノワ・デルクール氏が、これまでに受け入れた日本人奨学生たちをユーモアたっぷりに紹介して下さいました。ブノワさんは、日本人奨学生受け入れのエキスパートと常日頃自称されているのですが、それはこのクラブが創立当初から国際親善奨学生を受け入れており、ブノワさんが受け入れを担当した学生を数えると私ですでに7人目の日本人奨学生だからであり、受け入れたのがほぼ全員女性、分野はフランス文学か語学、研究テーマもそれぞれ難解そうだったらしく、それがブノワさんには面白く映るようでした。

以上、簡単ではありますが、留学の途中経過のご報告とさせて頂きます。私の留学にお力添えを下さいました全ての方々への感謝を忘れず、残りの日々も充実した毎日となるよう、努力していきたいと思っています。

ロータリーD2170地区大会にて、後列左端が顧問ロータリアンのブノワ・デルクール氏、前列左から二番目が本人

ロータリーD2170地区大会にて、後列左端が顧問ロータリアンのブノワ・デルクール氏、前列左から二番目が本人

[学友便り] 借りてはいけない本

- 12:21 AM

2003-2004年度GSEメンバー 小笠原 靖

最近、よく図書館に通っています。元々活字を読むのは苦にならず、書店に入って、面白そうな本をぱらぱらとめくるのが好きでした。しかし、保管場所と経済的な理由から、最近は購入からレンタルに変わってきました。

私の行く図書館では、一度に8冊借りることができます。貸し出し期間は最長2週間ですが、予約が入っていなければ、手続きをして更に延長して借りることができます。私は、大概上限いっぱい8冊借りて、帰宅してから少し読み、面白ければ読み進め、そうでなければ返却します。この自由さも図書館の魅力です。

さて、図書館をよく利用するようになってから、新聞やラジオの「書籍紹介」を、以前より興味深く見聞きするようになりました。

ところが、私の自由な図書館利用について考えさせられるラジオ放送を聴いたのです。3月2日(火)NHKラジオ「ビジネス展望」にて、評論家:内橋克人さんが、「心打たれた一冊の本」として紹介していたのは、『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る ~アフガンとの約束(著:中村哲、澤地久枝)』でした。

放送の要旨は、「私の心に深く響いた一冊の本」。日本人ならば誰でも知っている二人が語り合い、対談と対談の間に歴史的事実が淡々とした叙述で挟まれている。時にウィットを交えた分かりやすい対話、しかし背景に、あまりにも過酷な世界の現実、歴史の流れがあることが、読む人の心に染みとおる・・・

中村哲さんは、今も戦乱と旱魃の中にあるアフガンに踏みとどまり、苦闘は既に25年になる。一体何故、一人の日本人医師が、遠いアフガニスタンでそこまでおやりになるのか。その答えがタイトル『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る』に表されている。そして、サブタイトル『アフガンとの約束』が、全てを語りつくされている様に感じる。・・・

作家である澤地さんが、何かお役に立ちたい、と思案の末、行き着いたのが、中村先生の本を作って、(そしてこれが難しいのだが)よく売れるよう努め、印税によって若干なりとも助ける。印税は全て捧げられるそうです。・・・」

短い放送時間でしたが、語り手である内橋克人さんの話に引き込まれ、一冊ですが購入することにしました。

さて、学生時代を振り返ると、書店で本を買うときは、よく吟味した上で「よし、買おう!」と「決断」をしていました。この「決断」は、ちょっと大げさに言えば、著者の思いに共感できた瞬間、だと思います。図書館で自由に本を借りることで、一冊一冊に込められた著者の思いを軽く扱っていたのかもしれない、そんなことを考えさせられた「借りてはいけない本(購入したい本)」との出会いでした。