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【学友便り】みんなを結ぶ音楽の輪

2010 年 9 月 22 日 - 9:17 AM

1987 -1988度奨学生 青木 千枝子

2003年、子育てが少し落ち着いた頃、本格的に音楽・音楽療法研究所を始めました。最初は、イタリア人の女の子が1人でした。私の家の近所には、日本人が住んでいないので、イタリア人の生徒が対象でした。

1年間経過しました2004年の6月に、第1回目のコンサートを開催しました。ようやく生徒も数人になったので、とにかく生徒のためにコンサートを、という願いから準備をしました。また、ちょうどその頃、小学校に通っていました長男もピアノに興味を持ち始めたので、彼もコンサートに参加することになりました。

当時、必死で実施しましたコンサートは、小規模ながら成功しました。これを機会に、次のコンサートに向けての目標ができましたので、私自身とてもうれしかった記憶があります。さらに、息子も音楽が好きになり、その後定期的に私が教えるようになったことも、大きな収穫でした。小学校や中学校で音楽会を開催しましたので、息子の同級生達も刺激され、音楽好きな子供が増えていきました。ゲームで遊ぶ時間をなるべく少なくし、少しでも音楽が好きになってもらい、ピアノを弾いたり、音楽を聴いたり、歌を歌って楽しむ時間を生活の中で自然に持ってもらうことが目的です。

本当は、子供達がもっと幼い頃からピアノを教えたかったのですが、本人達が興味を示すまで待っていました。次男も、小学2年生から毎回コンサートに参加しています。長男はバイオリンを習い始めましたので、今は次男にピアノを教えています。子供といっしょに音楽をしている時間が、とても充実し幸福に感じています。時々歌を歌ったり、連弾をしたり、打楽器でリズム打ちをしています。あっという間に時間が過ぎ、2時間以上も熱中することがあります。単なるレッスンではなく、いっしょにセッションをするような感覚です。

ところで、コンサートは、「 I PICCOLI MUSICISTI IN CONCERTO イ・ピッコリ・ムジチスティ・イン・コンチェルト」( 小さい音楽家のコンサート )という名前です。発表会ではなく、コンサート形式にしたいという希望から、この名前を付けました。どんなに小さい子供でも音楽家として演奏をする、という志がこの名前に含まれています。しかし、目標は掲げたものの、その後生徒と再び音楽会ができるかどうか、全く先が見えませんでした。

コンサートに関して、私が大切にしていることがあります。音楽を愛する人は全員、参加できるという趣旨です。国籍・障害・年齢に隔たりなく、演奏をすることです。もちろん、プロの音楽家も参加できます。様々な歌や楽器を演奏して、楽しむことが目的です。さらに、出演者がデュエットやコーラスをしながら交流をします。このように、演奏家同士、又は演奏家と聴衆が一体となって、音楽を楽しむことが、最も大切だと確信しています。そしてコンサートが、人間関係を構築する交流の場となるように、強く願っています。

特に、障害者の参加に関しての重要性を強調したいです。障害者と健常者の共存という大きな目標があります。社会の中で障害者が普通にいるということを、全く当たり前のことにします。キャンプ、お祭り、スポーツ大会などいろいろな交流の機会がありますが、音楽を通じて交流ができたらどんなにすばらしいでしょう。歌を歌ったり、楽器を弾くことは、誰がしても楽しめます。言葉が理解できない外国人同士でも、音楽があればコミュニケーションできます。音の世界では、障害や国籍の隔たりがありません。単に打楽器で楽しむだけでなく、音楽プログラムをもう少し本格化させたらどうでしょうか。彼らが、簡単なメロディーを歌ったり、楽器で演奏できたら、さらに満足感や幸福感が増すと思います。

そんな想いから、2005年に養護施設主催の「フェスタ in 福祉」において、音楽劇「ピーターと狼」を実施し、その際に2回目のコンサートも実現しました。これが最初の合同音楽会です。その頃、私は市立養護施設の音楽療法士として採用されました。施設主催のフェスタで、音楽劇をすることと、音楽・音楽療法研究所のコンサートを同時に実施することは、私にとってとても重要なことでした。研究所の演奏者や父兄が障害者と混ざって交流をすること、又障害者にとって生演奏を膚で感じるということが重要でした。

同年に、山梨県立美術館主催の「みなび展」が美術館内にて開催されるということで、養護施設のグループの作品を参加させていただくことになりました。開催時期は夏で、ちょうど私が日本に帰国する時期でしたので、それに合わせて準備をしました。この展覧会の名前は、「みんなでつくる展覧会」という趣旨からつけられたもので、養護施設の皆さんが参加するにはちょうどいい機会でした。

音楽と美術は密接に結びついています。音楽の中には、テンポ・リズム・色彩などがあり、これらを線や色で表現することによって理解を深めます。また、親しみにくい交響曲でも、それを聴きながら、感じたイメージを絵で表現することができます。このような曲を聴かなくても、自分達で音を出して、それを描くこともできます。音を絵・造形・グラフィックなど、自分の感じるままに描いて作る活動をし、作品を作ります。普段から音楽+美術の活動をしていますので、展覧会はよいチャンスだと思いました。

2006年も引き続き、「みなび展」参加をさせていただきました。養護施設だけではもったいないと地域の小学校にも声をかけ、展覧会のためのプロジェクトを立ち上げました。「みなび展」参加のために2日間、小学校において制作をしました。4学年生徒全員・4学年全教員と養護施設のグループ・職員、約85名が集合しました。そして彼らの共同作品、全員の色手形がついた3つのキューブが完成しました。日本に住んでいる人達のように大きくて立派な作品は出来ませんが、85人を結びつけた絆と2日間の交流の成果でした。日本の美術館でこの作品を再び鑑賞した時は、感動でした。地球の反対側にいる養護施設のグループへの思いと、元気な小学生の顔が浮かびました。

さらに2008年に、山梨県立美術館通りのアートイベント「アートフェスタ貢川」と、画廊「アートセンターコスモス」の展覧会に参加することができました。4枚の写真は、養護施設の皆さんの作品です。雑誌・端切れ・水彩絵の具・色えんぴつ・色ペンなどを準備しましたが、30枚以上もの作品が出来上がり、驚くばかりでした。今までもこのような活動はしましたが、この時ほど、彼らの創造性・感受性・集中力・ファンタジーを感じたことはありませんでした。そしてコラージュや水彩画などが次々と出来上がると、うれしくなってしまいました。いくつかの作品には、芸術性を感じるほどでした。送る前に11枚、写真を撮り、「養護施設ギャラリー」と称して、ブログで紹介しました。全作品を日本の人達に観賞してもらいたいと思い、最終的に、出来上がった作品全部を送りました。

さて、2006年は、私にとって思い出深い年となりました。前年から小学校で音楽講師をしていました私は、音楽・音楽療法研究所のコンサートと小学校の学年末音楽発表会を合同で開催しました。イタリアの学年末は、5月です。普段ピアノや歌を個人的に勉強している子供達にとって、大聴衆の前で演奏することは、よい経験になります。また、小学生達にとって、学校では学習できない専門の楽器の音色を生で聴くのも勉強になり、音楽の輪を広げるよい機会になると思いました。

さらに同年のクリスマスには、中学校にて、小学生と私の研究所の生徒と養護施設のグループを合同で参加させることに成功しました。小学生達とその父兄が非常に関心を持って参加したことを記憶しています。しかも実施して驚いたのは、子供達が、養護施設のグループに対して協力的でした。ピアノを演奏した研究所の子供達と小学生、そして養護施設のグループがまさに一体となって盛り上がりました。父兄が養護施設のグループに対する評価をし、「楽しい時間を過ごしました。皆さん、すばらしい。」などと声援を送ってくれました。クリスマスでしたので、会場に暖房がきいていたせいか、とても体が熱くなったことも覚えています。確かに会場も、入場できないくらいの人達でいっぱいでした。この光景は、今でも鮮明な思い出として残っています。国籍や障害は音楽によって全くなくなり、会場が1つになりました。この体験をした後、自分の考えに確信を持つことができました。

コンサートは、一方通行ではなく、演奏者と聴衆がコミュニケーションをとることによって、体で音を感じることができます。音楽には、その場にいる人達みんなを1つにまとめる不思議な力があります。そして、先入観を取り除くためには、小学校の段階から、障害者との交流を積極的にしていく必要性を感じています。

ところで、2007年から2008年にかけて、養護施設では、歌のレパートリーを作り、「声」に関して重点をおき、コーラスを結成しました。呼吸法や発声法なども学び、ハーモニーを作ることに努力しました。いろいろな楽器がありますが、人間には「声帯」があります。歌は話す言葉と深く関連していますので、声の知識や可能性に関して、もっと認識し、この万能な楽器を積極的に試す必要があります。

人には、ミュージックアイデンティティーがありますが、それを追求したらどうでしょうか。養護施設でまず行ったのは、彼らがどんな歌や歌手が好きか、幼い頃どんな曲を聴いていたか、特に印象に残った歌、肉親といっしょに聴いた曲、今聴いている曲などのCDを持参してみんなで聴いたり、いっしょに歌ったりします。歌に限らず、音楽に関して、どんなことでもいいので、曲名を書いたり、CDを集めたりして、自分の音楽アルバムのようなものを作っておくといいかもしれません。写真のアルバムも、忘れた頃に何回も見て懐かしんだりしますが、それと同じような感覚です。

養護施設では、仲間の好きな音楽を聴きあったり、歌ったりすることを心がけています。そしてみんなが好きで歌いたい共通の曲を選び、レパートリーを作っていきます。重要なのは、みんなが好きで歌いたいという気持ちです。そして、音楽療法だけにとどめず、この活動を他の場所で発表することが必要です。グループはいつも大きな元気な声で歌っていましたので、この「元気」を誰かと共有したいという願いからプロジェクトが生まれました。市立老人福祉施設2箇所を訪問し、彼らの歌声を聞いてもらい、しかも歌集を準備して配り、いっしょに合唱しました。この際も彼らの声と聴衆の声が一体となり、響いていました。最も感動したのは、養護施設のコーラスグループだったと思います。

さて、2007年には、長男が中学に入学しました。現在通っています中学と出会ったのは、前の年です。子供が好きな音楽を続けたいということから、音楽教育に力を入れている中学を捜し始めました。そうしたら何と、イタリア全国に音楽専科がある国立中学がたくさん存在することを知りました。その中で特に注目をしたのが、国立支援ヴィヴァイオ中学です。「支援」という訳が適しているかどうかわかりませんが、その価値は十分にあります。実際に、この中学は特別中学に指定されています。

もともと盲学校の付属中学として存在していましたので、視覚障害、あるいは全盲の子供達が通学し、音楽教育を受けていました。教育法改正により、視覚障害のみならずそれ以外の障害を持った子供達が健常な子供達の中に混ざって在籍するようになりました。この中学を知った時に、まさに「これだ!」と思いました。私が求めていることとピッタリ一致したのです。このような素晴らしい学校が存在していたとは、それまで全く知りませんでした。

この中学では、障害を持った子供も含めて生徒全員が楽器を勉強し、音楽活動やコンサートを積極的に実施しています。そして、障害の子供達と健常な子供達が同じクラスに在籍して、勉強し給食を食べ、共に活動しています。子供達が車椅子を押したり、全盲の子供を常に助けたりしています。要するに、理想的な小さな社会を形成しているのです。

そして、子供が入学した後、全盲の男性教員が音楽を教えていることを知りました。学校内では杖は使わない先生は、子供達や他の教員で助け合います。子供は、この先生の授業を受ける度に、「先生のピアノはすごい。誰よりもすごい。まるで目が見えているようだ。」と話しています。生徒達に人気のある、最も尊敬されている先生の1人です。コンサートの際は、中央に座り、まるで魔術師のようにピアノを弾きます。その周りに群れをつくるかのように生徒達が先生を囲みます。歌っている生徒達の姿は、あまりにも生き生きとして、会場も自然に口ずさむ人が増え、じょじょに盛り上がり、大合唱になります。この時、私は観客でしたが、やはり、ここでも一体感を体験しました。

さらに、2009年に、同じく全盲の音楽教師と出会いましたのは、偶然ではないと思います。養護施設では、2008年クリスマス前から、ミュージックベルを使って音楽療法をしています。少しずつ曲を増やし、レパートリーを作って地元の中学と音楽交流をすることにしました。典型的な普通の国立中学で、音楽を教えている女性教員との衝撃的な出会いがありました。中学校に訪問して、彼女のクラスと、交流をしました。養護施設のグループが歌やベルを演奏し、中学生も笛を演奏しました。また、共通の曲をいっしょに合奏したり、グループが打楽器でリズム打ちをしたりしました。

音楽教師チェレーダ先生や中学生と音楽交流をして、感慨無量の一言でした。また校長先生や他の教員も参加し、とてもあたたかく迎えてくれました。養護施設のメンバーも、校長先生や音楽の先生に抱擁し、感激を強く表していました。

ところで、2009年、ダウン症の男子が、私の研究所を尋ねてきました。実は、彼は5月に開催しました第8回のコンサートに参加しました。とにかく音楽が好きで、歌を聴くのが好きなようです。日本には「むすんでひらいて」や「お馬のおやこ」などの歌がありますが、イタリアにも世代を超えて歌い親しまれている歌がたくさんあります。メロディーが有名でしかも単純な曲を選曲し、コンサートで歌うことを提案しました。

彼は、以前学校生活の中で、人前で発表をすることが結局全くなく、今後も難しいと母親は非常に心配していました。ところが、これらの曲を歌いきり、挨拶をして自分の席についたのを観察していました母親は、感動というより信じられなかったようです。その後研究所に通うようになり、週に1回のペースで音楽療法を続けています。字が読め、英語も理解できますので、早い時期に変化が表れてきました。ビートルズのファンということで、選曲をし、「イエスタディ」や「ミッシェル」などの曲を今歌っていますが、20105月のコンサートを目標に頑張っています。

現在、研究所では、イタリア人・フィリピン人・フランス人・アフリカ人・中国人・日本人など、国籍や障害を越え、子供や大人が音楽を通じて交流し、可能性や才能を発見しています。日本人である私がイタリア語で、生徒達に教えるということは、難しく忍耐が必要です。時々、自分の言いたいことが正確に伝わっているかどうか、疑問に思うこともあります。しかし、私は、音楽を通じて生徒達と接することが好きです。彼らも、私にエネルギーを発信していますので、相互作用が確実に働いていると思います。言葉の問題、上手とか下手という問題は全く関係なくなり、純粋に音楽と人間の関係のみになると信じています。とにかく、子供達が音楽好きになり、実力を十分に発揮して、それを家族や友達と共有し、共鳴し合って成長することができれば最高に幸せです。

最後に、私のホームページとブログを紹介します。特にブログでは、イタリアの教育・福祉関係の実際の現場から、活動内容や感じたことを書いていますので、是非ご覧いただきたいと思います。

http://www.musica-italia.jp
http://blogs.yahoo.co.jp/italiajapanaoki


[留学国別情報]フランス・Universite de Provence

2010 年 9 月 4 日 - 11:51 AM

留学国:France
留学機関Universite de Provence / Laboratoire Population Environnement Developpement

1. 奨学生候補に決定してからのロータリークラブとの関わりについて

奨学生候補決定後、推薦クラブである浜松北ロータリークラブの例会に計三度、出席させていただき、内二度、スピーチを行った。一度目は、20097月に、ご推薦いただいたお礼を申し上げると共に奨学生候補に選考していただいたことをご報告し、自己紹介・留学の抱負について述べた。二度目は、20106月に、留学先決定後、留学準備の進捗状況・近況報告を行った。三度目は、留学出発直前の20109月に、例会に出席させていただき、顧問ロータリアンの方をはじめ、お世話になったロータリアンの方々にご挨拶を申し上げた。

2. 留学の応募に関して

入学希望コース:博士課程

留学申請時、既に米国の大学院の博士課程に在籍中だったため、学位取得目的ではなく、一年間、訪問研究生として受け入れてもらえる博士課程のプログラムを英・仏語圏の大学院で探した。

提出書類:

RIからの指定校通知受理後、指定校先のプロヴァンス大学で指導を希望する教授二名に、20103月始めにメールで直接連絡を取り、私の現在の研究内容についてお伝えすると共に、2010年の秋学期から一年間、ご指導いただけるかどうか尋ねた。また、その際、RIから送付された「資金保証状」(Letter of Financial Guarantee)も添付した。その結果、研究に関心を示してくれた教授の提案で、プロヴァンス大学内の「人口・環境・開発研究所」に、「訪問研究生」として受け入れて頂くことが決まった。

「訪問研究生」としての正式な受け入れのため、下記の書類を提出した。

簡潔な研究計画書及びCV

「外部の博士課程の学生の受入協定書」(CONVENTION D’ACCUEIL DES DOCTORANTS EXTERIEURS A L’ETABLISSEMENT)」への、受入側の大学(プロヴァンス大学)の学長及び研究所の所長、派遣側の大学(コロンビア大学)の学長、及び申請者本人による署名

一方、語学証明書や願書、成績証明書等の提出は求められなかった。

語学試験:

地区での奨学生選考試験の過程で受けた、ベルリッツのA試験、及びTOEFL以外に、語学試験は受験しなかった。

3. RIとのやり取りについて

留学希望機関の申請について:

留学希望機関の申請は、地区での選考試験の際に提出していた申請書類を下に、地区の奨学委員会の方を通じてRIに行っていただいた。当初申請していた希望機関のリストの中には、米国のハワイ大学が含まれていたのだが、20099月に、地区の奨学委員会の方を通じて、これまでに12ヶ月以上、米国に居住・留学した経験がある※ことから、ハワイ大学の希望申請は認められず、志望先の見直しが必要との連絡を財団本部から受けたことを知った。そこで、急遽、ハワイ大学の代わりに、マルタ大学を希望機関のリストに加えてもらうようにお願いした。

※申請書に記載されていた、「申請者が、奨学金支給年度以前に12カ月以上居住、または留学したことのある国の地域へ指定されることはありません。」という教育機関申請の制約条件を、当初は、同じ国(米国)内でも地域が異なれば、希望申請は可能だと理解していたのだが、そうではなかったようだ。

代替教育機関の申請について:

指定校通知を受けた大学が、私の中では、第一希望の大学だったこともあり、留学申請は一つの大学(プロヴァンス大学)にしか行わず、代替機関の申請も行わなかった。

研究奨学生の申請について:

留学中、コースワークを受けるのではなく、研究に専念したかったため、20103月にRIの奨学コーディネーターにコンタクトを取り、「通常の授業を受ける代わりに研究を専門に行う『研究奨学生』」としての派遣を希望する旨を伝えた。「研究奨学生」としての申請を正式に承認してもらう為、以下の書類をRIに提出する必要があった。

研究企画書

予算案

大学発行による、研究生としての受入証明書(a研究所からの正式な「受入証明書」(ATTESTATION D’ACCUEIL)を提出)

奨学生、研究企画案、予算案を支持することを表明した派遣ロータリー地区の奨学金小委員長からの書簡

ロータリー財団研究奨学生用書式(指定教育機関の2人の監督者による署名)

(※詳しくは、『国際親善奨学金要覧:研究奨学生のための指針』をご参照ください。)

その他のRIへの提出書類について:

上記の提出書類に加えて、以下の書類を提出した。

奨学金受諾書

履歴書/宿泊に関する書式

語学力テストの得点結果(aTOEFL、及びベルリッツA試験のスコアを送付)

健康診断書

保険加入証明書

パスポートの身分証明書欄のページのコピー

研究者ビザのコピー

旅行選択書式(aRITSを通さずに自分で航空券を手配したので、「TRAVEL OPTION 3 窶髏€ WAIVED RITS TICKET FORM」を送付)

電子送金用銀行書式(a留学先に到着し、銀行口座開設後に送付)

語学研修について:

奨学コーディネーターに、語学研修を希望する旨を伝え、留学開始前に、RI側から財政支援を受ける形で、RI指定の語学学校で事前研修を受けられるかどうか尋ねたが、ベルリッツのスコアが規定の点数に達しているとの理由で、残念ながら承諾を得ることができなかった。そのため、結局、奨学金の一部を使う形で、研究奨学開始前に、約一ヶ月間、マルセイユのアリアンス・フランセーズで語学研修を行った。

ビザの申請について:

申請当時、滞在していたハノイ(ベトナム)のフランス大使館で、長期研究者ビザの申請を行った。ビザ申請の際、以下の書類を提出した。

長期ビザ申請書

証明写真1

パスポート

「研究者受入協定書」CONVENTION D’ACCUEIL D’UN CHERCHEUR OU ENSEIGNANT-CHERCHEUR ETRANGER

ビザ申請料金 99ユーロ相当のベトナムドン

RIとのコンタクトの取り方について:

RIとのコンタクトは、基本的に全てメールで行った。奨学コーディネーターが指定されてからは、常にコーディネーターに直接、連絡を取るようにした。留学準備中、途上国に滞在しており、郵便事情が不安定だったこともあり、書類の送付などを郵送ではなく、メールでできたのは幸いだった。奨学コーディネーターにメールで問い合わせをすると、通常、遅くとも23日以内には回答が得られた。

4. 学業面での留意事項

語学面での準備は万全とはいえなかったが、留学申請時からフランス語のレッスンを受けたり、フランス語と日本語のランゲージ・エクスチェンジをして会話の練習を行ったりして、留学に備えた。また、個人レッスンを受けていたフランス語の家庭教師や、フランス語のネイティブの友人に、研究企画書や、指導教授に送るメールのフランス語を添削してもらったり、フランス語でのメールや論文の書き方に関する本や、自身の研究テーマに関連する論文を参照したりして、アカデミックな文章やメールの書き方に慣れるように努力した。

5. 生活面での準備について

住居 窶骭€ 出発前に、受入クラブのホスト・カウンセラーとあらかじめ連絡を取り、住居探しについて支援をお願いする旨を伝えた。(aが、本格的な住居探しは、結局こちらに来てから始めたため、現在は、語学研修先で紹介された家庭でホームステイをしながら、ホスト・カウンセラーや他のロータリアンの方々のご協力を得ながら、アパートを探している。)

保険 窶骭€ 以前から三井住友海上保険の海外留学保険に加入していたこともあり、留学期間中は、RIの条件を満たすよう、一部の保険内容を変更したうえで、同保険を継続した。

また、渡仏後、滞在許可証申請の際に必要な書類(戸籍抄本、及びその法定翻訳、翻訳査証に基づく「出生証明」)をあらかじめ、日本にいる家族を通じて依頼し、取得してもらった。(aところが、渡仏後、その書類を紛失してしまい、結局、マルセイユの日本総領事館で、持ち合わせていた戸籍謄本の原本をもとに、「出生証明書」(仏語)を発行してもらった。)

その他、地区での奨学生向けのオリエンテーションやガイダンスを通じて、以前、フランスやその他の地域に留学された奨学生の方々からアドバイスを頂いたり、同期の奨学生らと情報交換を行った。

また、他の地区の国際親善奨学生向けのサイト(http://www31.atwiki.jp/ri2590shiori/)に、有益な留学生の手引きがあったため、留学準備の際に参考にした。

RIから受諾パッケージの一部として送付された留学先地域の「現役」国際親善奨学生のリストの中に、同じ大学(プロヴァンス大学)に留学されている奨学生がいたため、コンタクトを取り、留学準備や住居等に関して色々とアドバイスをしていただいた。

6. その他

上述した受諾パッケージに含まれている「現役」国際親善奨学生のリストの中に、もし、自分の受入先の地域や大学に留学している奨学生がいる場合は、コンタクトを取り、留学や生活準備等についてアドバイスをもらうと良い。

奨学コーディネーターから「Rotary Ambassadorial Scholar Wikispace」が開設されたとの案内があったので、登録した。今の所は、まだあまり情報交換のために積極的に活用されてはいないようだが、利用する価値はあるのではないか。

これまでに留学された奨学生の方々が、留学後、受入地区で行った卓話の内容や、受入地区で喜ばれたお土産等に関する情報が、「現役・次期奨学生」のために提供されたら大変有益なのではないか。