Posted in 2009年学友会誌寄稿文 学友便り

[学友便り]一期一会

2010 年 4 月 17 日 - 11:54 PM

1997-1998年度 GSEメンバー 原田 芳春

2009年7月6日午前10時、天候曇、St.アンドリュース・オールドコースのトム・モーリス・プロショップ前にレンタカーを止めました。今回のスコットランドへの旅では、「ゴルフの聖地巡礼一人旅」をテーマに6つのリンクスコースを巡りましたが、ここだけはインターネットでの予約が取れませんでしたので、早速、クラブハウス前にあるスターター・ハウスに行ってキャンセル待ちの列の最後尾に付きました。気候や運営システムの違いでしょうか、クラブハウスは文字通りメンバーのための施設になっていまして、ビジターは予約のあるなしに関らず、ロッカーとかシャワー室等を特に借りたいというのでなければ、直接スターター・ハウスに行ってグリーン・フィーやバッグを載せて運ぶローリーの使用料を前支払いし、プロショップでボールなどを購入してからスタートするわけですが、驚いたことにキャンセル待ちの半分位は日本人のグループでした。東京の川崎さんという方のグループは、「ホテルに泊まってキャンセルを待ち今日で三日目ですよ。」

私は、次の日に200キロ南のイングランドとの境界付近にあるダンフリースのゴルフ場に予約が取れていまして、地元のメンバーが私を待っていてくれますから、一刻も猶予はなりません。意を決して、あの荘厳なクラブハウスに飛び込みました。案の定、門前払いでした。私は、「オールドコースでのプレーを夢見てたった一人でこのバッグを担いで日本からやって来ました。このまま帰る訳にはいきません。私のこの長年の夢を叶えるべく是非ともご再考を賜りたい。」と少し持って回った言い方をして訴えました。受付の方の名前はよく見えませんでしたがファーストネームはジョージでした。少し困った顔を見せましたが、「少し待って下さい。」と奥に入ったきり10分くらい待たされました。「合衆国から来たパーティーに一人空きができました。ハンディキャップ証明書を見せて下さい。」と言われて「やったー!」と思いましたが、私の喜ぶ顔を見て、すごい皮肉を言うものです。「今日は、St.アンドリュースにとって記念すべき日です。2万キロの彼方からハンディ16のゴルファーがたった一人でやって来るとは!」私が流石にムッとして、「ホームページには20以下となっているではないですか」と言いますと、「あれは商業上の理由です。」とあっけなく交わされました。要するに大手旅行会社が予約枠を買占めていると言われるパックツアーであればハンディキャップなど関係ないということなのでしょうか。

それにしても、このジョージという人に出会わなければ、ここでのプレーは実現できなかったように思います。「失礼ながらハンディ16では進行上問題がありそうなので当方でキャディを付けますが、バッグは自分で運んで下さい。ラフでのボール探しはルール上5分ですが、この時期は2分です。コースではマーシャルがチェックしています。違反者には直ぐコースアウトして頂きます。グリーンフィーの128ポンドをスターター・ハウスで支払って下さい。」日本円で約1万8千円ですから、私が「他の名門コースより2倍以上高いんですね」と言うと、「アメリカ人が値を吊上げてしまった。」という言い方でした。

直ぐに、よく写真で見る1番ティーグランドに案内されパートナーに紹介されましたが、そこで私が仲間に入れて貰えた訳が分かりました。片山晋吾プロのお陰でした。ジョージア州からやって来た人達で、地元のオーガスタで開催されたマスターズで片山選手が4位になり、そのプレー振りが多くのギャラリーに感動を与えたようです。日本のゴルファーが大いに見直された様子でした。「しかし、私は典型的なアベレージゴルファーです。ヨシと呼んで下さい。」と自己紹介をしました。付いてくれたキャデイーさんはピーター・ミラー氏72歳。ここでちょっとしたトラブルがありました。1番ホールティーグランドは広く平らで誰でも近づくことが可能です。スターター・ハウス前でキャンセル待ちをしていた日本人が走って来て「最後尾にいたあなたがどうしてここに居るんだ!」と険悪な雰囲気になりました。私は、「パートナーが待っていますので失礼します。」と言いながらティーグランドに向かいました。

それこそ、記念すべき第一打です。しかも、多くの観光客が見ている前です。自分では快心の当りと思いましたが、キャディさんは、「ヨシの球はコスリ球だよ。」たった一回のショット見て全て判ってしまうスゴイ人だと思いました。普通の日本語は話せませんが、プレーに必要な日本語は正確です。2打地点に着くと「あと168!」とか、グリーン上では私のパターフェースをよく見ていて「少し左」というようにハッキリ教えてくれます。日本のプロに付くことが多いということでしたから、この5日後200キロ離れたターンベリーからここに練習にやって来た石川遼選手に付いたのは、案外この人かも知れません。因みに、今年の全英オープンはここで開催されるそうですから、皆様がテレビで観戦をされる場合など、私の話が少しは参考になるかも知れません。

第二打は、当り損ねでクリークに入りました。リンクスコースでのクリークはバーンというのだそうです。とてもそこまで届くようなボールではありませんでしたが、フェアウエイは弾力があって硬く、ボールが何処までも転がって行ってしまう様な感じで、これがリンクスコースの実に厄介な点でした。2番以降の多くのホールでバンカーに入りましたが、要するにロングアイアンで高いボールで、しっかりとした決め打ちが出来ないと転がって行ってラフかハザードに入るように出来ています。結局、1番は4オン2パットでダボ発進となりました。

2番ホールに来てクラブハウスで言われたことの意味をやっと理解できました。ハンディ16のゴルファーが来る所ではないということを。そして、このキャディさんを付けてくれたSt.アンドリュースの配慮に胸が熱くなりました。ティーグランドから見て何処からがフェアウエイなのか分からないほどラフとブッシュが入り組んでいます。キャディさんは、「ヨシのボールは飛ばないからブッシュに入っても直ぐに探せるよ。200ヤード飛べば良いのだから思い切って振り切りなさい。」幸い、チョロだけは一度も打たなかったので、ブッシュに入った殆どのボールを直ぐに見つけてくれました。2番ホールのバンカーで2回失敗し3回目のアドレスに入ろうとした時ストップが掛かりました。「それではトミーの記録を更新してしまう。フェースの開きはそれで良いから、ヘッドスピードを落として砂を薄く取りなさい。」ボールは殆ど真上に飛び上がって、やっとあの蛸壺バンカーからの脱出に成功しました。5番ホールのバンカーに入った時、「記念写真を撮るから腰に付けてるカメラを」と言ってデジカメのシャッターを押してくれました。

ところで、全英オープンが開催されたターンベリーで池田勇太選手に出会った話を後述させて頂きますが、私が訪ねた同ゴルフクラブの玄関で、「本日、石川はいないけれども、Another young guy つまり、もう一人の若い衆が居るから会っていったらどうですか?」と言われました。池田選手は、まだ名前すら知られていなかった訳です。中嶋常幸プロは、「トミー」という愛称まで貰ったのですから大したものです。1978年の全英オープン最終日最終組で17番ホールのバンカーにつかまり、8つ打って敗れた、そのバンカーは、今尚「トミーズ・バンカー」と呼ばれて観光名所の一つになっていました。幸か、不幸か、私のボールはそのバンカーには入りませんでしたが、結局この5番ホールのスコアは3オン1パットで、18ホール中5つしか取れなかった数少ないパーの一つとなりました。そして、この写真は上手く撮れていましたので、報告書の表紙に使わせて貰いました。

私にとって、このキャディさんにめぐり会えたことで、St.アンドリュースが忘れ得ない思い出となりました。最初に言われたコスリ球は、どうしたら直るのか、未だに解決していませんが、彼の表現は実にユニークで素人に解り易いものでした。Leave your club behind in its top position. ダウンに入る瞬間、「クラブをトップの位置に置き忘れて来なさい。」そして、マーカーのペンさんがアテストしてくれたスコアカードは額に入れたバンカーショットの写真の裏に挟んで保管することに致しました。バンカーに何度もつかまったことを思えば97は仕方ない数字と思っています。マーカーのペンさんが94。あとの二人はドライバーが真直ぐに飛ぶのに、飛びすぎてラフに入りロストボールが多過ぎて、結局100を切ることができませんでした。

こうして4つ目の巡礼先St.アンドリュース・オールドコースを後にし、イングランドとの国境近くのダンフリースGC、南西海岸のポートパトリック・ダンスキーGCを経て7月11日早朝、いよいよ14日から始まる全英オープンの会場ターンベリーの南20キロ地点にあるリンスオブギャロウエーというB/Bにチェックイン。B/Bと言いますのは、ベッドと朝食のみを提供してくれる格安の宿のことですが、前の晩のニュースでBBCが石川遼君にインタビューしているのを見ましたので、ターンベリーホテルに電話を入れて、今日も練習するのかどうか確認をしようとしましたが、「済みません、個人情報につきお答えできません。」でした。そりゃそうだ。と納得し、兎にかく行ってみることにしました。その時点では、石川選手以外に誰が来ているのか、全く知りませんでした。

早くも午前8時にチェックアウトしてターンベリーに向かいました。今日中にエジンバラに着けばOKとはいえ、距離は200キロ、道筋にも自信がないため早く出ました。ターンベリーの町は「ジ・オープン」一色で歓迎の看板が目立ちました。クラブの正面入り口で交通整理が行われていて、関係者以外は一般駐車場へ誘導されていました。私の番になると「石川は昨日までいたが、今日はセントアンドリュースへ練習に出掛けて居ない。もう一人の若い衆が居るので会っていったらどうですか?」と言う。そして、クラブ正面玄関横の駐車場に止めるように言われ、大会役員が、練習ラウンドに出ようとしていた池田勇太選手の所へ案内してくれました。彼は、「23年の内にトッププロになります。日本に帰ってからも応援をお願いします。」と帽子を取って挨拶をしてくれました。実に好感の持てる選手です。少なくとも予戦通過を願わずにはいられませんでした。「見て行くんでしょう?」、「いや、家の法事があるので明日帰国します。St.アンドリュースや色々なコースを回ってきました。昨日、隣のコースでプレーし、今からエジンバラへ向かいます。じゃあ、頑張ってくださいね。」と言って握手をして別れました。午後4時半、最初に泊まったエジンバラのB/Bネザビー・ハウスに無事着き、今回の旅の全日程を終えてホットしました。

7月12日14:00 レンタカー・ハーツ社に車を返し、15:00: エジンバラ空港チェックイン。出発迄に時間がありましたので、携帯電話でお世話になった方々にお礼とお別れの挨拶をしました。17:15 エジンバラ空港離陸、帰国の途に就き、14日昼頃、出発地富士山静岡空港に帰ってまいりました。

後日談になりますが、帰って間も無く福岡で行われたKBCオーガスタで池田選手が優勝したのをテレビで見まして、直ぐに、「優勝おめでとう。ターンベリーで出会った焼津の原田です。まだ、覚えていますか。」とハガキに書いて東京虎ノ門にありますプロゴルフ協会気付で出しました。暫くして本人からハガキが届き、「おハガキ有難うございました。原田さんのこと良く覚えています。もちろん。」とありました。彼が「もちろん」と付け加えたいきさつを少しお話させて頂きますと、あの日の朝、多くの報道関係者と全英観戦ツアーのギャラリーが皆、石川遼選手に付いてSt.アンドリュースへ行ってしまい、ターンベリーを訪ねたのは私の他に見当たりませんでした。プロの練習ラウンドに素人が付いていて良いのか、どうか分かりませんでしたが、本人は嬉しかったのか。「いてくれていいですよ。」という言葉を私が真に受けただけでなく、20ヤードのアプローチショットでターフが取れるのが不思議で、私が「もう一度、打ってみて」と言うと、黙って何度も打って見せてくれました。彼の練習ラウンドで素人に言われて何発も打つことなど後にも先にもなかったことかも知れません。コーチの、如何にも迷惑そうな目が気になり、私が、「そろそろ帰ります。」と言いますと、彼は、帽子を取って丁寧に挨拶をしてくれました。

今回の旅は、自分の経験を総動員して、又、現地の多くの親切な皆様の助けを借り、お蔭様で実に密度の高い時間を過ごすことができました。リンクスに身を置いていると、海からの強い風が、60代後半に入って衰え始めた心身に活を入れ、元気をくれた思いが致します。感謝、感激の旅でした。

Golf


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