Posted in 2009年学友会誌寄稿文 学友便り

[学友便り]国連事務局内の人事異動

2010 年 4 月 18 日 - 12:00 AM

1993-1994年度奨学生 遠藤 公美代

10年間のジュネーブでのUNCTAD勤務を経て、昨年8月半ばからニューヨークの国連本部勤務になった。一般的な印象に反し、国連事務局組織で働く私たち正規国連職員の間では、勤務地の変更を伴う異動は、大規模な組織改革に伴う所属部署の移転以外には、自ら希望しない限りありえない。それというのも、国連事務局の人事部は、定期的に組織内の職員の異動を行なう権限を持っていないので、日本の会社員や公務員のように、ある日、上司から呼び出され、「来月1日付けで、○○勤務の辞令が出るから」と言い渡されることもない。

また、昇進に関しても、公募に出た1つ上のレベルのポストに応募し、書類選考、面接の結果、そのポストに採用されなければ、いつまでたっても起こらない。つまり、極端な場合、一度、組織に入ると、定年まで、ずっと同じポストにいて、昇進も異動もしたことがないという職員がいても不思議ではない。

更に、私のように、昇進でもないのに、ジュネーブから、わざわざ生活条件の悪いニューヨークへと自発的に動く職員も珍しい。家族持ちの職員は、子供のことを考えると、ニューヨークには、絶対住みたくないし、独身職員にしても、職場に近いマンハッタンに住むとなると、高額な家賃のせいで、経済的に苦しくなるし、ジュネーブと同じ位の家賃で収まる物件となると1時間の通勤を強いられる。したがって、ジュネーブ勤務の職員は、仕事の面で、よほどのメリットがない限り、ニューヨークへのポストには応募しない。

そんな国連事務局内の停滞する人事の改革の一環として、2000年に入ってすぐに、事務局人事部は、2007年以降、同じポストには最長5年までしかいられない規則の導入と、管理職のP5(専門職の一番上のランク)とD1ポストに応募するには、その前に2回以上異動していることを条件に加えると発表。当然のことながら、それまで強制的に異動をさせられたことのない職員のほとんどが動揺し、ジュネーブでは職員組合を先頭に、この動きを阻止する抵抗を始めた。

2000年以降に採用された専門職の一番下のランクにあたるP2には、すでに強制異動が義務付けられ、最初の2年の試用期間後、正規職員契約への切り替え前に、自発的に異動先を探すか、人事部が年1回施行するプログラムに沿って、勤務地の変わる異動をするのが定着していた。前者の自発的異動というのは、自分で組織内の空きポストを探し、そのポストの所属長に自分を売り込み、了承を得られれば、異動が可能になる。また、後者のプログラムにしても、強制とは言えども、転勤先のポストを選ぶ自由は与えられている。

けれども、このP2対象の規則は、2000年前に採用されたP2には適用されておらず、私と同じ1999年にUNCTADに入ったP2の中には、10年たった今でも、昇進の機会に恵まれず、同じポストに居座ったままの同僚がいる。加えて、この規則は、一度異動した後、2年たったらまた動かなければいけないというものではない。従って、例えば、20044月に入ったP2は、20061月に自発的異動をすれば、2008年に再び異動する義務はない。

事務局人事部は、2005年前半、このP2の異動プログラムの「成功」を追い風に、2007年に予定されている第一回の強制異動に先駆けて、自発的に異動したいというP3からP5までの職員を対象に、似たような職種-例えば、私の場合には「経済職」-に就いている、同じレベル-私の場合には、専門職の下から2番目のランクのP3-の職員間での(同じ組織内と勤務地内も含んだ)異動を促進するプログラムを実施した。だが、興味を示した職員は多かったものの、結果としては、応募者の選考、面接に数ヶ月を費やしたにもかかわらず、実際に異動できた職員は一人もいなかった。

これには、三つの理由が考えられる。まず、一つ目は、最初に異動の希望を表明しても、このプログラムに出された自分以外のポストの中に、自分が異動したい、あるいは異動できそうなポストがないという理由で、参加を取り消した職員が半数以上いたこと。二つ目は、このプログラムでは、自分の希望するポストが複数あれば、そのポストに全てに応募をすることが可能だが、通常の公募をかけた空きポストの選考と同じように、書類選考の後、希望者は受け入れ先の上司から面接を受け、採用されなければならないこと。つまり、いくら自分が動きたくても、受け入れ先の上司から、そのポストに必要とされる専門性、職歴、適性がないと見なされたら異動は実現しないということ。そして三つ目は、たとえ希望していたポストに採用されたとしても、同時に、そのポストに就いている職員の受け入れ先が決まらなければ、異動は実現しないこと。つまり、一人の職員が動くためには、二人以上の職員の異動が不可欠で、この条件をクリアーするには、11のスワップならまだしも、何十人もの職員が関わっている場合には、不可能に近い。

また、二つ目の理由にあげた専門性について、もう少し説明を加えれば、専門職の一番下のランクのP2と違い、事務局内の各組織あるいは、同じ組織内でも各部署特有の専門性の重視度は、P3からP4P5に上がるにつれ、高くなるのが常識だ。これは、昇進の際にも言えることで、人事部が推進する組織内、勤務地を変わる異動によって得られる多様性とは一致しない。強制異動に反対する職員は、強制異動によって失われる各組織特有の専門性は、事務局内組織の効率性を著しく下げるものであると懸念する。

日本の組織と違い、国連内では、専門職、管理職が異動、退職する際、「引継ぎ」なるものがなく、前任者は、後任者のためにと、それまでやっていた仕事の情報を残すことがない。従って、後任者は、全くの白紙の状態から仕事を始めるので、一定の流れ、関連部署、外部組織とのネットワークを築くのに時間がかかり、当然ながら最初の数ヶ月、あるいは、数年間、仕事の効率、質が低下する。

更には、「経済職」の場合、同じ組織内でも、自分が所属している部署外のP3以上のポストには、非常に狭い分野での専門性が要求されている。例えば、UNCTADの経済職のポストは、私が担当していた「投資」以外のポストとなると、私が応募条件を満たせるものは、ほとんどない。具体的には「貿易」なら、その中でも、更に細分化された「WTO交渉」や「競争政策」の知識と職歴等の、そのポストが属するユニットや課が担当する問題の専門性が要求される。更に、UNCTAD以外の組織で途上国にある、例えばESCAPのような地域委員会になると、「貿易」の中でも、その地域特有の知識や、その地域での「技術協力」の職務経験などの条件が加わってくる。よって、これが、昇進の機会に恵まれない専門職の、動きたくても動けない代表的な言い訳になっているのだ。

強制異動プログラムは、予定通り、2年の移行期間をかけ、20075月から、5年の期限を過ぎた職員を対象に実施された。UNCTAD の人事課は、2006年当初、この第一回の異動の対象となる職員数は、100人に及ぶと発表したが、実際に組織内外を含め、正式なルートで異動した職員は数人にすぎなかった。それ以降も、毎年、5年の期限を過ぎた職員が出てきているはずなのだが、人事から「動け」と言われた職員は、6年以上過ぎた私を含め、誰もいないと思う。従って、管理職を含め、多くの職員が「強制異動はなくなった」と思い込むに至っている。

こうしてあやふやになってしまった強制異動の中、2008年後半には、人事部は、2010年から管理職のP5D1ポストの異動に関する応募資格を更に厳しくし、P5になるには、勤務地を変わる異動を2回以上していること、そして、D1になるには、途上国の中でもより生活が厳しいとされる勤務地での1年以上の勤務経験を条件に加えると発表し、ジュネーブとニューヨークの職員組合は猛反発。結局、この提案は、予算に関する懸念もあり、2009年末、総会での決議は見送られた。管理職への昇進を目指す先進国勤務の職員の多くは、胸を撫でおろしたはずだ。

一方、人事部は、2009年前半、第二回目の自発的異動促進プログラムを実施した。前回との大きな違いは、組織内の管理職(P5 D1)の中から、窓口を一人ないし二人、組織長が任命し、人事部主導で、希望者のマッチングを行った後、該当する受け入れ組織の窓口に応募書類を提出。その窓口が、書類選考を行い、受け入れ先の部署長に候補者のリストを提示し、必要があれば、面接をするという選考方法になった。また、先進国勤務の職員と、途上国勤務の職員との間での異動促進を目標として、関係者全員が合意すれば、異動は、1年、もしくは2年の期限付きで、もとの職場に戻って来る事も可能になった。それでも、私の参加したP3経済職のプログラムでは、前回同様、ポストの半数以上は、タイにあるESCAPか、エチオピアに本部をおくECAに所属するもので、ジュネーブやニューヨークに勤務する職員の勤務地を伴う異動に対する消極的姿勢に変化はなかった。

今回、私がニューヨークに動けたのは、決して、この異動促進プログラムの仕組みが改善されたからではなく、応募書類提出前に、私と先方のP3が、お互いのポストを「スワップ」する話し合いをしたからにつきる。たまたま、ニューヨーク勤務の同期の日本人の同僚を介して、私が興味を持ったポストの内の1つに就くモンゴル人が、私のポストに大変興味を持っていると聞いた。その後のメールのやり取りで、このスワップの実現の可能性を高めるために、他のポストには、一切応募せず、互いのポストだけに応募書類を提出することで合意はした。けれども、他に応募者がいた場合、互いの上司が私たちを選ぶ保証はないので、思惑通りにこのスワップが実現する可能性は低いと思っていた。書類提出後、モンゴル人の同僚のところには、人事部から他のポストにも応募しろと電話がかかってきたが、彼はジュネーブの私のポスト以外には興味がない、と言って応じなかったらしい。

そして、1ヶ月半後、私たちは、互いの上司から面接を受けることもなく、人事部の担当者から内示の連絡を受け、異動の条件について人事部の担当者を通して話し合いに入った。先方は、私の希望する「通常の異動」ではなく、1年、もしくは2年の期限付きのスワップを主張してきて、「それなら異動はしない」とすねたくなったが、結局、2年間のスワップで合意した。また、5月に出た人事部からの正式通知では、7月末に異動を完了するようにとの指示があり、自分としては、6月中に異動したかったのだが、先方は、7月に1ヶ月休暇を取るので、自分がジュネーブに赴任できるのは、早くて8月初旬になると言われ、この点でも、相手に譲り、815日付けの異動で合意せざるを得なかった。この間、一切、上司から口を挟まれることはなく、いかに、国連の正規ポストが私物化されているかが明らかになった。

こうして、ジュネーブからニューヨークに引越してきて半年以上になるが、昨年の7月半ばに引越しの準備を始めて以来、ジュネーブから動きたがらない同僚の理論が正しいことを痛感する日々であり、今となっては、相手方が主張した二年という期限付き条件が、非常にありがたい。思えば、競争試験に合格し、UNCTADからポストのオファーをもらうまでは、「国連で働けるなら、アフリカでも、どこでも行ってやる!」と意気込んでいたのに、10年のジュネーブ勤務ですっかり甘やかされ、その可能性すらも考えなくなってしまった。世界の途上国には、日常生活に必要な最低限の物をそろえるのでさえ容易でない人々が、まだまだ、たくさんいるというのに、自分の都合や生活面での快適さを躊躇することなく優先してしまうのは、国際公務員として、誠に恥ずかしい限りである。

Leave Comment

You must be logged in to post a comment.